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静岡県西部(浜松市を除く)


ひとことざかこせんじょうあと

一言坂古戦場跡 (静岡県磐田市一言)
 一言坂の戦いは、三方ヶ原の戦い(1572年)の前哨戦。
 徳川家康が、西上作戦で遠江に侵攻してきた武田信玄を天竜川渡河前に迎え撃とうとしたが惨敗した。
 退却戦で、本多忠勝が奮戦し、家康は無事浜松城に帰還するが、その後の体制が整わず、二俣城の後詰(援軍)に行けなかったことで、家康の信頼は失墜し、遠江での支配権が揺らいだ。
 本多忠勝を評した有名な狂歌「家康に過ぎたるものがふたつあり、唐の頭に本多平八」の落書は、この戦いでの忠勝の勇戦を、信玄の近習・小杉左近が歌ったものといわれる。

(メモ)
 石碑は国道沿いに立っているが、あまり目立たず、駐車場もない。
 石碑の奥(国道の脇道)に、舗装はされてしまっているが、一言坂が残っている。



かけがわじょう


全国初の木製復元天守
掛川城 (静岡県掛川市掛川)
天守:木造復元天守  日本100名城
戦国期の主な歴史
1469~1487年の間に今川家臣・朝比奈泰煕によって築城されたといわれる。
1569年 武田信玄、駿河に侵攻。朝比奈泰朝今川氏真を迎え入れる。
 同年 今川氏真、朝比奈泰朝、徳川家康に降伏。石川家成が城主となる。
1590年 家康、関東に移封。山内一豊が5万石で入封。
1600年 山内一豊、土佐に移封。以後、徳川譜代が城主をつとめる。
(メモ)
全国で初めて天守が木造で復元された。
二の丸御殿は、全国に3ヶ所にしか残っていない現存御殿のひとつで重要文化財に指定されている。(他の2ヶ所は、二条城と河越城)
二の丸御殿 (重要文化財)



たかてんじんじょう


高天神城遠景
高天神城 (静岡県掛川市上土方嶺向)
天守:なし  続日本100名城
戦国期の主な歴史
築城年は不明。
16世紀初 今川家の重臣・福島家が城主をつとめる。
1536年 花倉の乱で福島家が没落。今川方の国衆・小笠原家が城主をつとめる。
1569年 今川家滅亡。小笠原家は徳川家臣となる。
1574年 武田勝頼により落城。その後、岡部元信が城主となる。
1581年 徳川勢により落城。岡部元信は討死。まもなくして廃城となる。
(メモ)
掛川三城のひとつ。遠江支配の重要拠点で「高天神城を制するものは遠州を制する」いわれた堅城。現在、城跡は神社となっているが、遺構はしっかりと残っている。
武田勝頼の攻撃により、小笠原家は降伏するが、家康の軍監として入っていた大河内政局は、降伏に反対して石窟に幽閉された。その期間は黒田官兵衛もびっくり8年に及んだ。
本丸跡 石窟 岡部元信の墓



とおとうみよこすかじょう


玉石垣
遠江横須賀城 (静岡県掛川市西大渕)
天守:なし
 戦国期の主な歴史
1578年 徳川家臣・大須賀康高により、高天神城攻略の拠点として築城される。
1582年 高天神城攻略の功により、大須賀康高が正式に城主となる。
1590年 徳川家康が関東へ移封。渡瀬繁詮が城主となる。
1595年 渡瀬繁詮、関白秀次事件の連座で切腹。有馬豊氏が城主となる。
1600年 有馬豊氏、丹波福知山へ移封。大須賀忠政が城主となる。
(メモ)
 掛川三城のひとつ。城跡は、公園として整備されているが、遺構を残こすことを中心に考えられているようで、石垣、土塁などが多く残っている。
 天竜川から運んできた玉石で石垣が積まれており、「玉石垣」と呼ばれる。



かすいさい

萬松山可睡斎 (静岡県袋井市久能)
 法多山尊永寺、医王山油山寺とならぶ遠州三山のひとつ。

 11代・仙麟等膳和尚は、幼い頃の徳川家康をかくまい救ったことがあるという人物。のち、三河、遠江を領有するまでになった家康が、その旧恩を謝するために、和尚を浜松城に招待すると、和尚は家康を待っている間に寝てしまった。家臣の中には「無礼」だという者もいたが、家康はそれを制し、「和尚、我を見ること愛児の如し。故に安心して睡(ねむ)る。我、その親密の情を喜ぶ。和尚、睡る可(べ)し」と言って微笑んだという。その後、和尚は「可睡和尚」と呼ばれるようになり、寺号も「東陽軒」から「可睡斎」に改めた。

 奥の院の方には、徳川家康が、森・袋井方面から攻めてきた武田信玄から逃れ隠れたという洞穴(出世六の字穴)がある。

(メモ)
井伊直勝直政長男)の終焉の地でもあり、墓所がある。
現在は、「ゆりの花」の寺としても有名。
山門(仁王門) 御真殿 出世六の字穴



ゆさんじ

山門
(掛川城二の丸大手門・重要文化財)

薬師本堂
医王山油山寺 (静岡県袋井市村松)
法多山尊永寺、萬松山可睡斎と並ぶ遠州三山のひとつ。

 山門は掛川城の二の丸大手門を移築したもの。
 薬師本堂内厨子は、今川義元の供養のために寄進されたものと伝わっており、重要文化財に指定されている。

(メモ)
掛川城に、復元されているのは大手門で、ここのは二の丸大手門。
重要文化財に指定されている三重塔は、桃山時代に再建されたものだが、元々は源頼朝によって寄進されたもの。



くのじょう


久野城遠景
遠江久野城 (静岡県袋井市鷲巣字) 
天守:なし
戦国期の主な歴史
1492~1501年の間に、今川家臣・久野家によって築城されたといわれる。
1568年 久野宗能が徳川家康に降伏し、徳川家臣となる。
1590年 徳川家康が関東に移封。松下之綱が城主となる。
1603年 松下重綱が城の無断改修で蟄居、移封。久野宗能が再び城主となる。
1619年 久野家が紀州徳川家の家老として移封。北条氏重が城主となる。
(メモ)
城跡は、よく整備されているが、城跡周辺も含めて草木は多く、夏は蛇も出そう。



ほんこうじ

山門(吉田城大手門) 常霊山本興寺 (静岡県湖西市鷲津)
戦国時代、今川家をはじめ有力豪族の外護を受けたお寺。
 
江戸時代に入ると、徳川家康に10万石の格式をもって遇された。庭園は小堀遠州作といわれる。山門は三河吉田城の大手門を移築したもの。

(メモ)
本堂は重要文化財。他にも県や市指定の文化財が多くある。